とてもすがすがしい回路なのかもしれない

日々のことを描いておこうと思うようになってそんなに日がたたないのだけれど、こういうことだったのかなと思っている。そんなことを思わなかったら、老母の部屋を描いておこうとか、ベッドの上の母のことを描いておこうとは思わなかったと思う。言葉で通じ合うことが難しくなってきている相手の絵を描くということが、これまでとはまったく異なるつながり方のある事を教えてくれているように思う。それはとても無機的なおこないなのだけれど、とてもすがすがしい回路なのかもしれない。