「老いの空白」はこんな風にはじまる

昨日は一日中に家に閉じこもって「老いの空白」鷲田清一さんを読んでいた。それはそれは見事でやっぱり鷲田さんはいいなと思ってる。そんなわけできょうはこれまでもやもやしていた霧が急に晴れたようで機嫌がいい、なんでもすぐに感化されてしまうのだけれどいいものはいいのだから仕方ない。「老いの空白」はこんな風にはじまる。
「幼くしてあることと老いてあること、つまりは人生というものの入口と出口、それをくぐり抜けるのが、とてもむずかしい時代になっている。とりわけ<老い>の現実はいま、どう考えても、きびしさ、惨めさ、なさけなさのほうが、誇りや満ち足りをしのぐ。日本社会は、「超高齢者社会」という現実に、それも他に例をみない速度で直面しつつあり、これまで人類史に参照すべきモデルのない時代を迎えている。が、<老い>のかたち、<老い>の文化が、<老い>そのものの内にも外にも見えない・・・。<老い>は空白のままである。その空白のなかに、高齢人口がどんどん流れ込み、、<老い>はその存在が「問題」としてしか問題にされない。それほど<老い>の空白はきわまっている。」