かつて夢をかたちにしようと言う力はもっとあったような気がします。今はかたちにするどころか、夢そのものを見なくなっているなと思います。この数日ここに戻ってきて、夢見る力のことをもういちど思い出させてくれました。ゆかりの深い家が人手に渡ってしまうということについてとてもつらいなと思っていたのですが、この数日この数十年間眠り続けていたものを見直してみたらこれでよかったのかもしれないとも思いました。こういうことがなくこのままだらだらだらと老いに向かって突っ込んでいく直前に、ここらで棚ざらえというか、仕切り直しと言うかをすることは必然だったのかもしれません。ひとつの夢を途中で放棄することはかなり苦痛を伴うのですが、そのことでしか前に進めないことがあるように思いました。