なんのてらいもなく、丈夫で雄大で

庭師に近い仕事をしているのだけれど力がないし、すぐ腰が痛くなるから庭師にはなれていない。でも、そろそろ年もとりかっこいい老庭師になりたいと思うから、こんな本を読んだ。なにごとも格好から入りたい、まづこんな風に書いてあった。
「 庭師と言えば、いまだに麦わら帽と長靴と青い前掛けと濃い髭で代表される」もうひといきだ、もっとおしゃれじゃなけりゃだぞ。
で、もう少し深い所が知りたいなぁと読み進んでいくと
「 私はこの仕事がアートの分野に入るかどうかの確信はない。私に言わせると、アートというよりは生活術、よりよく生きるための術である。」こんなのがあって、唸ってしまった。むかしちらとこんなことを考えたことがあって、でも素通りしてしまっていた。何十年振りかでいままたここで出会って、そうだそうだと思ってる。
そしてこんなことも書いてあって、
「 ゆっくりとした歩みは、私たちの仕事の基本である。ル・ノートルが紋章に選んだカタツムリは、この本来の側面をユーモラスに強調するものだ。」正直言ってル・ノートルってなぁと思っていた。ごめんなさい。カタツムリが好きだったル・ノートルいいやつだったんだ。で、最後はこんな風にしめくくられる。
「 それでも、私にはひとつの願いがある。できれば、私がここを去る日にヴェルサイユをつくりながらもその歴史に名を留めなかった労働者、土木作業員、彫刻家、そして庭師すべての記念に、一本の木を植えたい、それは楢の木になるだろう。なんのてらいもなく、丈夫で雄大で、フランス中どこにでもあるので俗っぽい木と言われているが、しかし本当は、かけがえのない非常にたいせつな木なのである。私の楢の木は、すべての私の仲間と同じように、放っておいても育つだろう。・・・私はその木に千年、いやそれ以上生きて欲しいと願っている。」
毎日毎日何十年も木を植えるしごとをしてきて、職場を去る最後の日に願うことはやっぱり、一本の木を植えること。いいなぁ。久しぶりに元気の出る本だった。しごとをしなきゃだ!(庭師が語るヴェルサイユ アラン・バラトン著 原書房)