前を行くおじさんが飄々と

ここ平城ニュータウンでも事情は同じらしい。近隣商店街の崩壊。だから駅前のスーパーまで行くことにした。だけど買い物を終えて驚いた93才と65 才の老人二人のすき焼き用の材料なのにこれがやたらに重い。ようやく,世に言う買い物難民問題を実感した。だから帰りはバスに乗ろうと決めていたのだが,こんなところで妙にニュータウン問題のリサーチという気持ちが頭をもたげてきた。えっちらおっちら歩き始めた。でもここも丘陵地だから坂道だ、重い荷物にはかなりきつい。それでもえっちらおっちら,そのうち,いろんなことが頭をもたげてくる。我が多摩ニュータウンの歩行者専用道とは何かが違う。ウンウン考えていたら,やはりぼくは関西の人だから、こちらの方がいいじゃないかという風になってしまう。まづ、多摩でよく見る目を覆いたくなるような伐採,剪定を見ないのだ。草木が落ち着いている。なぜだろう。やはり千年の都、奈良と京都の間のまちなのだ,住民だっておっとり落ち着いているのかもしれない,伐れ伐れじゃまじゃまなどと言わないんだろうかと思った。そしてやはり千年の都、植木職人たちの技術の差じゃないかとも考えた。千年もの間,植木の手入れをしてきた職人たちなのだから。でもこんなえこ贔屓の判断では顰蹙を買う。でも明らかにちがう。この落ち着きはなんだ,誰か,東西のニュータウンのペデストリアン・ネットワークの違いについてと言う論考を書いてくれないだろうか。もう一つ気がついたのは多摩ニュータウンのペデは鉄道に並行に走っている,こちらのは鉄道駅に向かう,だから生活道路の性格をより強く持つ,ぼくが歩いている時も生活を感じた。前を行くおじさんが飄々と、缶ビールをぶら下げていいかんじ。2(続く)