「人生は、あきらめからあきらめの旅」

「集まって住むことは楽しい」ってずっと信じて暮らしてきたのだけれど、ここ数年は「もういいやっ」になってしまって、「集まって住むことのなんとしんどいことよ」になってしまっている。でもちゃんとそのことを言葉にできなくて、もうあきらめたって言う風だったけれど、最近の若い論客たちが、「弱いつながり」だとか「切断」だとかそんなことを言い始めているのを見聞きするようになってきたところに、新聞を読んでいたら、こんなことが書いてあって、ようやくそういうことだったんだと分かった気がして、この人たちの言っていることをちゃんと読んでみなきゃと思っているところだ。哲学の畑の人ってほんとうに頼もしいなぁと今ようやく思う。
「 つながり過ぎを切断しようという問題提起は、ある意味、せつない。バブル崩壊後に大学入学した僕ら30代から下にとっては、特に腑(ふ)に落ちる気がします。「人生は、あきらめからあきらめの旅」。最近、僕はそう書いたのですが、ネガティブな意味だけでは必ずしもないんですね。別のやりかたで多様な解答がある。それを見つけるのが幸せという直感があるのです。」(2014年10月7日朝日新聞朝刊耕論・スルーする力、千葉雅也)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11389298.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11389298