お座りをしてじっと庭を眺める犬のように

この2〜3日また、「為さなければ」とついつい前のめりになっていた。で、ふうふう息が切れそうで、そんな風にあっぷあっぷしているとき、いつも顔を出すのが鷲田さんだ。老子さんも、老いたギャルソンも、じっと庭を眺める犬も、みんな「為してはいけない」と言っている。そうなのだと思う、でもついつい忘れてしまう、まだまだ修練が足りないなぁ。

「しどけない、という言葉を耳にすることは最近あまりない。服装や姿勢がだらしないさまをいう。逆に、無造作にくつろいだ様子が魅力的にみえるという使い方もある▼哲学者の鷲田清一(わしだきよかず)さんが『老いの空白』で、〈高貴なまでのしどけなさ〉と書いている。ローマの美術館のカフェでの光景だ。店の支配人は仕事を店員に任せ、ぼんやり外を見たり、壁にもたれたり、ぶらぶら歩きをしたり。その姿が実に優美だ、と▼支配人は何もしないことに慣れている。手持ちぶさたを紛らせようとはしない。お座りをしてじっと庭を眺める犬のような、妙な高貴さが漂う。他人の思惑などは眼中になく、ひとり超然とたたずんでいる▼この〈見事なまでの無為〉の境地が、私たちの老いには必要なのではないか。鷲田さんはそう問いかける。」9/15朝日新聞朝刊・ 天声人語より