「あるべき過去」を夢見ること

ウディ・アレンがよみがえった。もうだめかと思っていた。パリのことを、1920年代にのことを、ベルエポックのことを、これでもかこれでもかと描いてくれた。フィッツジェラルドがいる、ゼルダがいる、コール・ポ−ターがいる、ジャン・コクトーがいる、ピカソがいる、ヘミングウェーはこんなにかっこ良かったのか、ダリははやっぱりおかしい、ロートレックだっている、キラ星のごとき才能が次から次へと登場する。こういう人たち、こういう時代、こういう街。印象に残った言葉があった。「ピカソは偉大な芸術家だ、マティスは偉大な画家だ」なんてうまく言いのけるのだろう。もういちど若返ることが出来るのなら、ギルのように生きたい。「どんな芸術もパリにはかなわない。」

「単なるノスタルジーではなく」という紋切り型の表現があるようにノスタルジーはいま、軽視されている。しかし芸術家にとって過去を想う気持ちはいかに大事か。それは実際にあった過去より、こうあるべきだったと理想の過去を夢見る想いである。実際のベル・エポック第一次世界大戦よって終わり、一九二〇年代は第二次世界大戦によって終わった現実を思えば、「あるべき過去」を夢見ることがいかに大事かが分かる。「ベル・エポックと一九二〇年代ーパリの二つの黄金時代」 川本三郎ミッドナイト・イン・パリ パンフレットより
http://www.youtube.com/watch?v=_cgX7pnR-xM