前世の私は木こりだった

前世は何だったんだろう、そんなこと考えることはなかった、でも手塚さんのことを読んで、なるほどと思った。前世が木こり、あこがれるなぁ、でもちっとも木々を愛しきれていやしない、だから木こりではなかったのだろう、二十歳の頃、手塚さんの山小屋、霧ヶ峰・コロボックルになんどかおじゃましたことがある。今また、こんなところでお会いするなんて思いもよらなかった、というかもうすっかり忘れていた。でも素敵なスピリットというのは、ずっとほそくほそくながくながく生き続けるのだと思った。80才、いいお顔をされている、とてもおしゃれでいらっしゃる。

妻の幸子さんとはじめた山小屋は、四半世紀前に電気が通じるまでランプの生活だった。貧しくとも、来月は窓の枠を白く塗りたいとか、ささやかの夢があった。山小屋とは、海でいえば灯台のようなもの。この思いは変わらない。「信心深い祖母が、前世の私は木こりだったと教えてくれました。今は、もう山に登らなくても、山の道具に囲まれて、まきストーブの火を見ているだけで十分です」

朝日新聞2012年6月3日朝刊 読書欄 著者に会いたい 手塚宗求さん 「諸国名峰恋慕 三十九座の愛しき山々」より

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