ようやく吉本さんを送ってあげることが出来ると思った。

吉本さんが亡くなって、いろんな言葉が現れた。
彼が考えてきたことなどほとんど理解できないまま、ただただ遠巻きにいいなぁこの人はと思ってきただけだから、吉本さんの死後に出た言説の吟味などしようもなかったけれど、どこかどれにも違和感があった。
そんなことだから、もちろん自分の言葉で吉本さんを語ることなどとても出来もしなくて、だから、僕にとっての吉本さんは、ただそれだけのことだったのだなぁと、思っていた。
でも今日、高橋源一郎が1週間ほど前に書いた追悼文を見つけて、ようやく、ほっとした。安心した。これで、ようやく吉本さんを送ってあげることが出来ると思った。
『吉本さんは、思想の「後ろ姿」を見せることのできる人だった。どんな思想も、どんな行動も、ふつうは、その「正面」しか見ることができない。・・・・・けれども、吉本さんは、「 正面」だけでなく、その思想の「後ろ姿」も見せることができた。彼の思想やことばや行動が、彼の、どんな暮らし、どんな生き方、どんな性格、どんな個人的な来歴や規律からやって来るのか、想像できるような気がした。どんな思想家も、結局は、ぼくたちの背後からけしかけるだけなのに、吉本さんだけは、ぼくたちの前で、ぼくたちに背中を見せ、ぼくたちの楯になろうとしているかのようだった。』2012年3月19日朝日新聞朝刊 吉本隆明さんをいたむ 高橋源一郎