2012-03-01から1ヶ月間の記事一覧

また秋が来るまで

今晩はクリームシチューを煮た。ニンジンとジャガイモとタマネギをコトコト煮て、春だから、桜の便りも届いているから、また秋が来るまでなのかもしれない。

潮風に吹かれながらボーと歩いた

横須賀に正岡子規のスケッチを見に行ってきた。 久しぶりに海も見た、浦賀水道、大きな船が浮かんでいた、一艘アヴァンギャルドのような貨物船が前を通った、大きな船がゆっくり動く絵と言うとマーラーの5番のようだけれど、春うららにアバンギャルドの船は…

「都市から郊外へ−1930年代の東京」

いまふたたびの後藤新平であったり、今和次郎であったり、震災後を考えるためのもう一つのヒントがここにあるのかもしれない。最近読んだ『小さなおうち』中島京子著にも1930年代の東京が活写されていた。行かなきゃだ。 「展示全体を貫くのは、驚くほどの健…

途方に暮れています

ランドスケープ・デザインにたずさわる僕としては、面白いかもしれない、もう少しエスキスしてみてからもういちど見せてと、 少しだけアーティストでもありたい僕としては、どんどん前に進めようよと、 そしてこれがいちばんの問題なのだが、市民としての僕…

春だ春だと賑やかにやっている

いいお天気になってきた。ようやく春だ。でもまだ石油ストーブは燃えている。 どこにも出かけずに、どこにも出かけるもんかと妙に意固地になって、新聞の切り抜きをしたり、脈絡なくCDをかけたり、本を飛ばし読みしたり、食堂のテーブルのまわりで完結する世…

ようやく吉本さんを送ってあげることが出来ると思った。

吉本さんが亡くなって、いろんな言葉が現れた。 彼が考えてきたことなどほとんど理解できないまま、ただただ遠巻きにいいなぁこの人はと思ってきただけだから、吉本さんの死後に出た言説の吟味などしようもなかったけれど、どこかどれにも違和感があった。 …

「優雅な生活が最高の復讐である」

神さまをちゃかしたナンセンスソングでデビューした加藤が、神様にひざまずいて、真剣に問い、 「一つ望みがあるの、洗礼を受けたいの、神さまにすがりたいわけではないの、少しだけ近づきたいの」と言う末期がんに倒れた安井の最後の願いをかなえるため、一…

いがぐり頭の今さん

今和次郎展に行ってきた。名前だけはよく聞いていたけれど、考現学と言う言葉も言葉だけとは親しかったけれど、今さんをこんな身近に見たのは始めてだった。いがぐり頭のセルロイド眼鏡のジャンバー姿のおっさん、そのおっさん具合がとっても好感が持てる。…

伜一番船をこげ

ふとつけたテレビでこんな番組をしていて、見入ってしまった。 どうも人間を最後に支えるのは音楽、それも人の歌う声なのではないかと思った。 それにしても、このところのnhk,報道から、ドキュメンタリー、音楽に至るまで、最後の踏ん張りを見せてくれてい…

もっと小さな庭

ようやく小さな庭に戻ってきた。 その中のもっと小さな庭。 クロモジとフッキソウと冬枯れのコウライ芝と。

お彼岸にグールドはあうのだなぁ

春分の日であるから、しあわせかと言うと、そんなこと関係なくて、いつものようにぼんやりと霧がかかったように憂鬱ではあるけれど、それでも致命的と言うほどではないから、きちんと椅子に座って、さてどうすると言うことになるとやはり、CDでもかけるかと…

お茶と最中などを頂いていたら

シラカシやソヨゴやクロモジなどを植えて、水撒きも終わって、依頼主のご夫妻と出来立てのお庭を愛でながら、お茶と最中などを頂いていたら 何とも風流な気持ちになってきて、かの中村良夫先生が『amenityとは風流と訳すのだよ』などと言っておられたのを思…

おぉ、人生終盤に

春学期が近いので、勉強しなきゃと言うことで「生態工学」亀山章編 朝倉書店を読んでいたら、この分野で、いい本がないかなとずっと探していたけれど、これはいいなぁと思う。やはり学術書であるから、なかなか硬質なのであるが、読んでいるうちに、何かこの…

でも君を恨みはしない

十八の歳の冬、急行「日本海」に乗って、北の地を目指した それから何往復したことか なのに詩人にはなれなかった。でも君を恨みはしない 走りつづけて62年、ごくろうさま ゆっくりお休みください。 「 北へ向かう夜汽車に乗れば人はみな詩人になった。『 日…

「大人だなぁ」

このところ、吉田健一を読んでいる。 文庫で400頁以上もあるので、なかなか進まない。その上、酒と料理と旅の話がだらだら続くだけなので、ちっとも勉強にならないなぁ、ためにならないなぁなどと、それこそ健一さんが野暮だなぁと思うようなことを考える…

なんてかっこいいんだろう空のひと

武蔵五日市の現場。大きな桜の木がお隣に影や落ち葉を落とすとのこと。さっそく剪定に伺う。 今日一緒の職人たちのこと「空師」と言う。高い木の枝落とし、剪定を専門に行う人たち。身のこなしは野猿のよう、枝から枝へと軽々と。 環境共生、そんなことなど…

ずっと気になっていたノイバラ

再びのお庭文学、ノイバラと江戸の植木屋清蔵、主役ではないが、お庭のひととしては、これらばかりに目が行く。コッツウォルズのオープンガーデンなんて言うのも出てきて、申し分のないお庭文学。どんな花が好きと問われて、なかなか答えが浮かばなかったの…

でもそろそろいいだろう

ようやくちゃんとしたおとなの万年筆を手に入れた。 10年以上前になくして以来、買えずにいた。それでもと子供用の万年筆で我慢していた。でもそれもなくして、でもそろそろと思っていた。 きのう日本橋の丸善に行った。なくしたのと同じ系譜の万年筆があっ…

Dance! otherwise we are lost. 

映画 pina を見た。踊ることが最後の最後に来るだろうと思っている。だからときどき踊っている。 それにしても仕事をし続けるpinaの立ち居振る舞いの美しいこと。 森で踊るということ、工場で踊るということ、採石場で、交差点で、駅で、坑道で踊るというこ…

お庭文学というのが、あるだろうと、そんなのを探してきては読んでいるのだけれど、持田叙子さんの「荷風へ、ようこそ」は、従来荷風と言えば、散歩のひと、街歩きのひと、ばかりが喧伝されているが、実は、おうちのひと、お庭のひとではなかったかと言うよ…

わいわいはじめて1年近く

いつも隣同士にいながら、なかなか『一緒にやろうよ』ということがない、園芸・庭・ランドスケープ・まち・里山などなどの人びとが、 やはりここは、エベネーザー・ハワードが考えた田園都市のひ孫あたりにあたる街なのであるからと、 わいわいはじめて1年近…

指や手がすこし元気を得て

少し気分のいい日が続くと思ったら、どうやら指、手からのことらしい。 久しぶりに万年筆を手に入れて、ここ10年ほどいじけていた指や手がすこし元気を得てのことのようだ。 指や手が人を楽しさの震源地であったのだなぁと今更ながら気がついたのだが、人が…