いつまで経っても豊かになれない

こんな中央公園が変わろうとしている。素晴らしい公園だと思うけれど。つくってはこわし、つくってはこわし、いつまで経っても豊かになれない。

2016年7月2日
きのう仕事の帰り、中央公園ではバンジョーを弾くおじさんがいて、トンボを追っかける少年がいて、散歩をするふたりがいて、カモガモも丘を登っていたから、うらやましくなってしばらく原っぱでごろごろ。

 

幸せの畑だなって思った

なんだか不安な時代になってきた、だから何があっても1ヶ月や2ヶ月 は自力で生き延びられるようにしておかなくちゃだと思う。「安全安心」という掛け声にはどこかに胡散臭さを感じてしまうけれど、ポタジェが作る、みどりが作る「安心安全」には心を許していいと思っている。

2021年6月30日
昨年お手伝いをしたT邸を1年ぶりに訪れた。いいなポタジェって、幸せの畑だなって思った。そこの畑で採れた野菜でポタージュが作れるような、畑と庭のあいだのような、食べて美味しい眺めてうれしいの菜園のことをポタジェという、頭では理解していたのだけれど、こんなにいいものだったとは。大きく育ったナスやトマトやズッキーニ、ただ見るだけでこころもお腹もいっぱいになる庭なのであった。

 

オープン・カーみたいになった

だけど、このおじいちゃんはもういない。オープン・カーのようなデッキを作らせてくれたおじいちゃんに感謝したい。

2013年6月29日
90歳のおじいちゃんに少しでも夏を過ごしやすくしてあげたい言うのがお嫁さんの希望だった。だからおじいちゃんの部屋の前のデッキにテントをつけてあげた。オープン・カーみたいになった。走らないオープン・カーであってもオープン・カーのようなデッキができた。

 

なにごともおおらか、風が吹き抜けていることがだいじと

ちょっとカリカリしていたのだけれど、次郎さんの飛び石を見ていたら、おおらかな気持ちになってきた、意匠って大事。ところでこの大佛次郎邸も売りに出されてしまったのではないだろうか。お金があったら買うのに。

2014年6月28日
大佛次郎邸、とことこと入っていくと、お庭でシャンパンを飲む家族。いいなぁ、こんどの誕生日はここで祝って欲しい。で、しごと、いつも飛び石は10~15cm間隔と信じて疑わなかったのだけれど、次郎さんの飛び石30~40cmはありそう。おおらかでいい、のびやかでいいなぁ、なにごともおおらか、風が吹き抜けていることがだいじと、今ごろになって思っている。

 

一緒に人生を終えようねって

そんなアレンもme too 問題の後、すっかり影をひそめてしまった。もっともっとアレンでしか撮れない映画を見せてほしかった。一緒に人生を終えようねって思っていたのに。

2018年6月28日
この映画をどう考えればいいんだろう。ウディ・アレンはいつもウディ・アレンの映画を撮る。一年に一本は必ず映画をつくり、毎週月曜日の夜には必ずジャズ・クラブでクラリネットを吹く。映画にはいつも古いジャズが流れ、女たちはいつだっておしゃれで、男たちはいつだって不器用で、そして男と女はいつだってこんがらがっている。でも、どんなにこんがらがっていても、どんなにぐちゃぐちゃになっていても、それはそれとしていつも懐かしいジャズが流れ、いつだってみんなおしゃれだ。それがウディ・アレンでありウディ・アレンの映画だと思う。今回の映画の舞台になったコニー・アイランドの観覧車が、ハンプティーが切符を切るメリー・ゴーランドが、いつだってどんなことがあっても回り続けるのと同じように。そんな風にウディ・アレンは死ぬまで彼の映画を撮り続けるのだと思う。ウディ・アレンはいつまでも回り続けろ、いつまでも生き続けろ、おしゃれをして、音楽を口ずさみながら、ただそのことを言うためにだけ映画を撮り続ける。そんなアレンに僕たちも元気をもらう。ウディ・アレン82歳、あっぱれな人生だと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=17TsW6ZcnVE

 

人間はいつだってチャーミングで、シックで、でも時には

人間はいつだってチャーミングでシックで、でも時にはよれよれでないと。
2019年6月28日
今日も暑い1日だった、でもようやくの週末だ、暑い夏の夕暮れはやっぱりライ・クーダに決まってる、マリア・エレナに決まってる。ライ・クーダーのティ・シャツのよれよれ具合のいいこと、ライのこの抜け感は絶品だし、このアコーデオンおじさんはきっと生まれてこのかた怒ったことないような気がする、このピアノのおじさんのチャーミングなこと、蝶ネクタイと白シャツがとってもシックだし 、こんなピアノ弾きになりたい!パーカッションの髭のおじさんはサスペンダーがよく似合うし、とぼけたいい顔してる。トローンボーンおじさんのソロは歌心あるし思わず口ずさんでしまう。でもここは中米でもない多摩ニュータウンの一角の夕方に過ぎないのだけれど、マリア・エレナが似合う街なのだ。人間はいつだってチャーミングで、シックで、でも時にはよれよれでないと。ライ・クーダーのバンドを聞いているといつもそう思う。
https://www.youtube.com/watch?v=AszqfR6as8k
https://www.youtube.com/watch?v=gASQ1_HEEHA

 

人が集まるということの大切さを

午前中の打ち合わせも機嫌よく終わり、さぁこれからどうしよう?と思っていて思い出したのが日仏学館の小さなお祭りで、東京でも数少ないお気に入りの場所。早速ビールとサンドウィッチを買い込んで、ひとり夏至祭り。ふと、思い出したのは「幸福になるにはちょっとした勇気が必要だ」という言葉で午後の仕事放り出してよかった。
改築中の日仏会館、どうなっているか少し心配だったけれど杞憂だった。とっても緑を大切にしている、僕たち東京の人間はこれだけみどりを大切にしているの?このままいけば東京で大きな木が残っているのは、在外公館関連施設だけになってしまう、江戸時代世界中が驚いた緑の都市江戸なのに。もう一つ、久しぶりにいいなぁと思える建築に出会えた。人を主役にしてくれる建築、人を幸福にしてくれる建築。当たり前のことなのに。しばらくそんな建築に出会えていなかった。
帰りにお腹が空いたから冷たいお蕎麦でもとお蕎麦屋さんにいたら、隣で踊っていたカップルが入ってきた。「やぁ」と言ったから「また、来年」と言った。見ず知らずの人なのにね。
久しぶりに人と話すということ、踊るということ、歌うということの楽しさを知った。人が集まるということの大切さを実感した半日だった。