またきっと復活してほしい!

都市という舞台が悲鳴を上げている。
2020年5月11日
【7日間ブックカバーチャレンジ付録02】
『都市という舞台:ニューヨーク』 編: TNプローブ
1995年、鳥居坂に小さなギャラリーが生まれた、TNプローブ。その第一回の企画展が”都市という舞台:ニューヨーク”だった。ニューヨークのことを勉強に行くんだから、おしゃれして行かなきゃと意気揚々と出かけた。セントラルパークを真ん中にした その図録の表紙がとてもかっこよくて大切に取ってある。今はコロナに苦しんでいる ニューヨークだけれど、またきっと復活してほしい!

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なんだかそばにあるだけでうれしい

  • この冊子は美しいだけでなく、なんだかそばにあるだけでうれしい。 
    2020年5月5日
    【7日間ブックカバーチャレンジ 04】
    『鴎外の「庭」に咲く草花 牧野富太郎の植物図とともに』:森鴎外記念館
    永井荷風夏目漱石は草木や庭のことを書くので、日記や書簡集などをぱらぱらと眺めてきたのだけれど、森鴎外と庭や草木との関わりについてはあまりこれまで語られてこなかった、それに鴎外は帝国陸軍の軍医さんであるし、エリート中のエリートでもあって、あの立派な髭のイメージもあるから、こんな人だったとはと思うのだけれど、いつも立派にしていなければならなかったからこそ、庭や草木たちのまえではひとりの人にもどる必要があったのだなと思った。
    最近、気がついたのだけれど、お庭文学という分野がありうることを。永井荷風夏目漱石も、そして最近思うのは森鴎外も、お庭文学として読めるかなと。そしてそれらの中から、これまでなかなか見いだせなかった、これからのこの国の風景の庭のカタチが見えてくるのかなと思ってる。
    「最近自宅の庭に増えてきた西洋草花の名を確かめるべく小石川植物園に出向いた木村だったが「今頃市中で売っている西洋草花は殆ど一種も見当たらず、」「少しもその目的を達すること」ができなかった。しかし彼は「 不平の感じは起こしていない」それは代わりにこの空間が「子供が木陰に寝転んだり」「画の稽古をする青年が写生」したり「書生が四阿で勉強」したりする「窮屈」でない鴎外が最も大切にした〈自由〉な空間であることを発見したからだ。木村はこの空間で西洋の花の名を知ると言う当初の目的以上のものを看取できたのではないだろうか。「 田楽豆腐」初出 大正元年9月

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と言っても久しぶりに僕はアルコールに弱いのだということを思い出して

今日は久しぶりに団地管理組合に緑についての提言をまとめていた。地域の環境や緑の問題への対処というと、ひどく苦しくひどく孤独で眠れなくなるほど悩んでしまう。でもある時、そんなに苦しみ悩む時間があるのだったら、その代わりにどうしてもっともっと考えないのだと言ってくれた人がいた。それ以来少し楽になり、悩むのではなく考えるのだなとの方向に舵をきりかけている。そんな方向転換を経て初めて団地の緑について僕はこう考えますという小文を休日の午後はまとめていたのだった。それでようやく書き上げて、少しはすっきりした気持ちで遅い昼食というか早い夕食というかをビールと人参を切らしているから少し色どりは悪いゴーヤチャンプルですることにした。と言っても久しぶりに僕はアルコールに弱いのだということを思い出して急遽トマトジュースを探し出してレッド・アイにして、だから僕の苦しみ悩む時間からの辛うじての脱出をレッド・アイで祝っているところだ。そばで歌ってくれているのは最近お気に入りのStacy Kent。それでもアルコールよりも偉いのは木々であり、緑であり、音楽であることに変わりはないことだけは言っておかなければならない。

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どんな世の中であれ人間の世界に本来具わっている『良いもの』を

  • このおやすみにも「酒肴酒」をぱらぱらと読み直しているのだが、
    「例えばロンドンで朝起きると、自分がロンドンにいるのを感じる。そういうものがない町は、本当をいえば、まちというものではない。」p.166
    なんて、ただただ酒と食べ物の話に止まらず、町を語る本でもあるのだから。

    2019年5月4日
    「父 吉田健一」には娘の暁子さんから見た吉田健一のことが書かれている。20年ほど前から、ことあるごとに健一さん健一さんと言ってきた。でも疎遠になったり、やっぱりいいなと思ってみたり、近づいたり離れたりを繰り返してきた。それは吉田さんのことをただただお洒落でかっこよくていつも上機嫌な紳士だからくらいにしか理解してなくて、 どうしてこんなに魅かれるのだろうということをきちんと分かっていなかったからだと思う。でも今回、暁子さんが彼女にとっても少しわかりづらかったであろうお父様のことを書いてくださって、そういうことだったんだ、そういうことならやっぱり好きだなぁ、そしてついには、残りもそんなに長くはない人生、吉田健一についていこうとまで思ったのだった。この思いがけなく長い5月の休暇の最大の成果は、吉田健一・暁子父娘とゆったりとした気持ちで出会えたことだった。
    「小説を書こうとしてうまくいかず、「まっすぐな線が一本でも引ければ」と思って批評をやってみることにしたと、父がどこかで書いていた。・・・父の一生、生活は、まっすぐに引いた線と言っていい。」p.7
    「父の一生は、ものを書きたくてものを書き始め、結婚して家庭を持ち、ものを書いて生計を立て、犬を飼い、面白い本、良い文章を読み、美味と酒に親しみ、良い友人と付き合い、旅を愛したというもので、いわば単純である。」p.11
    「大学に入った頃に「英国の文学」を読んで、批評家吉田健一に一目惚れしたことは父に言ってあったと思うが、・・・・・」p.36
    「言葉に惹かれ言葉に生きた父は、政治にも経済にも志さず、この世の中に対して働きかけようとはしなかった。しかし、どんな世の中であれ人間の世界に本来具わっている『良いもの』を―父にとってそれは言葉であり、酒であり、友人であり・・・ー 精一杯味わった。父にとって可能な限り徹底して味わった」p.45

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